「女性は”産む機械”」―柳沢厚生労働大臣の発言が、野党とフェミニストから強い反発を産んでいる。
この言葉を膨らませれば、男性は「産ませる機械」になるのでしょうか。
でも、機械が人間を繁殖させたと言う話を、私はまだ聞いた事がありませんよ。
いまの世の中、身の回りに在る”機械”は、たいていプログラミング言語の上に動作している。
すべてが、0と1で構成される、2進法の世界。
数値が絶対とされて、あいまいな領域は排除される世界。
ある意味、人類の誕生という神秘的なものと正反対の場所にある。
いわば数式を神として崇め、すべての事象は科学的に解明できると信じている人々の事を、仮に「数教信者」と呼ぶ事にしよう。
この「数教」の考えでは、出産すらも科学的に解明でき、生物ですら数の前では機械同然であるとする。
そんな「数教」信者がはびこる世の中では、どのような弊害が起こるのか。その謎を解くカギは「数教」という言葉の中に潜んでいる。
「教」の へん「孝」には、「老人を背負う子供」という意味がある。
そして、両方の漢字に共通する つくり「攵(のぶん)」には、「棒でたたく」という意味がある。
その点を踏まえて、「数教」という熟語の原義は何かと考えると、「米を担いだ女性と老人を背負った子供を叩く」という事になる。
これは、不況の煽りで家計を支えるようになった女性と、少子高齢化の影響で負担が増えた子供たちにムチを打つという、現在の日本を的確に表す言葉と言える。
おいおい、なんてこった。こんなアプローチで分析してみると、まったく論理的じゃないけれど、なんだか納得出来る気がする。
科学的な解明や論理的な発想のみ求めたら、こんな飛躍した結論にはならないだろう。
これから私は、アンチ「数教」として、世の中の”あいまいな部分”と”こじつけ”の魅力を布教していきたいと思いますよ。
※2007/2/5 『数教―「産む機械」発言に潜む、科学至上主義。』から改題
2010.2.11追記
典型的な言葉遊びの文章ですね。
ただ「曖昧を排除すると、人を苦しませる結果を生む」ってのは、案外正しいかも。